装丁(装幀・ブックデザイン)とは・・・・ [言葉の定義]

「装丁とは(中略)、おおざっぱにいえば、書物の外装を(美しく)仕上げるデザイン技術のこと」(『[実践]レイアウトデザイン』オーム社 2003 p188)

「「装幀」が一般的には、表紙やカバー、帯、見返し、トビラなど外回りの表層に限定したデザインを指して使われるのに対して、「ブックデザイン」(「造本」という場合もある)は、本のテキストにふさわしい本文組の体裁を含めたトータルな取り組みを指していう。」(『装幀列伝』臼田捷治 平凡社新書 2004、p7)

「新村出は、昭和四年一一月、歴史的な変遷をふまえた上で「装釘か装幀か」の一文を草し(『文藝春秋』誌に昭和五年三月掲載)、「ブツクバインヂングの訳語」として使われ始めた「製本」「装釘」よりも、「図案とか意匠とか云ふ要素」をとりいれて考えた場合は「装幀」の語のほうが優れていると述べる。(『ユリイカ』2003年2月号 「ブックデザイン批評――「そうてい」用字用語考」田中栞 p109)

「美作太郎は1951年に刊行した本の中で、<装幀 >に関して、「装幀とは、表紙のきれいなデザインのことだけを指すものではなく、その書物の内容(文化価値)とこれに規則された用途、組み方、判型、用紙の紙質等の諸要素を総合し、それに最もふさわしい製本法を採った上で、表紙の形状色彩を考案することを指すのである。」と述べている。(略)
美作太郎『執筆編集校正造本の仕方』ダイヤモンド社、1951年、183頁。」(『本と装幀』田中薫 平12 p48)

「(前略)デザイナーが受け持つ「装丁」の範囲は、カバー、表紙、本扉(用紙の選定も含めた)のデザインで、印刷をしないことの多い見返しについては用紙の選定、また、オビのデザインをする場も多く見られます」(『[実践]レイアウトデザイン』オーム社 2003 p188)

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装丁家語録(スタンス・仕事の仕方など) 

緒方修一:「装幀は言葉(タイトル)に左右されます。そこにきれいな言葉がなければ、きれいな本は出来ない」(『イラストレーション』2005年5月号 p45)

葛西薫:「書店で目立たなくともいいと僕は思っているんです。平台とそこだけがへこんで陥没しているような、いつ発売されたのか分からないような感じが好きです。むしろ読者が買ってくれて持って歩いているときの風景だとか、机の上に置かれたときにどんなムードになるのかということを考える。それと書棚に収まった後の背をいちばん大事にしています」。」(『装幀列伝』臼田捷治 平凡社新書 2004、p169)

坂川栄治:「僕は基本的にゲラは読まず、その分編集者とじっくり話し合ってデザインの方向を決めています。その本をどんなイメージでどう売っていくかについては、編集者が一番主導権を持っていると思うので、そのいいお手伝いが出来ればと考えています。」(『イラストレーション』2005年5月号 p46)

新潮社装幀室:「配本の予定が入ってから、一冊の本が完成するまでは、およそ三か月。そのうちの一か月は、どのようなコンセプトで本をつくるかといった編集者との話し合いに費やされる」(『本づくり大全 文字・レイアウト・造本・紙』「ブックデザインの仕事場―新潮社装幀室」 p82)

祖父江慎:「カバーだけならパッケージ・デザイン。本体部分でどう内容を伝えられるかが、ブックデザインの醍醐味です」(『Pen』2004年12月1日号 p72)

平野甲賀:「―装丁が本と読者をつなぐんじゃない。本と読者をつなぐのは、あくまでもその本の中身だと思う。装丁はちょっとしたサービス。ぼくができることといったら、その出版社がある感じをもって本を出しつづけている―その動きをサザナミみたいに、できるだけ気持ちよく表現していくことぐらいじゃないかな」(『平野甲賀[装丁]術 好きな本のかたち』晶文社 1986 p20)

松田行正:「書籍のカバーデザインでまず気にするのは紙の選定。手にした時の手触り感を大切にしたいので、ざらっとした感触のあるものを使うことが多いです」(『編集会議』「アートディレクターは本のどこを見る? 2005/07 p139)

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装丁 <松本大のつぶやき>

松本大さんといえば、あの大躍進中のネット株証券会社マネックス・ビーンズのCEO。読書家としても有名なのだが、松木氏のブログの2004年02月25日(かなり昔の記述で失礼!)に、「装丁 <松本大のつぶやき>」と題された記述がある。

内容は、ふと白秋の「思ひ出」を読みたくなって探したところ、文庫版が見つかった。しかしその中から「初めて読んだ時の感動には、到底近付くことができ」なかった。その理由の1つは自分の「感受性」の問題だと思われるが、もう1つは、

本の活字(復刻版ですから正しくは活字を模した写植ですが)、紙質、紙の厚さ、本の大きさ、表紙のデザイン(「思ひ出」は掌に載る、とてもコンパクトな宝石箱のような装丁だったと記憶しています)、そういったもの全てによってトータルにプロデュースされた世界がそこにはない、というのも大きな理由ではないでしょうか?オペラにも歌舞伎にも、舞台衣装や舞台装置があり、それはトータルな芸術の重要な一部です。たとい「詩」という文字情報であっても、周辺装置、即ち装丁は、トータルな作品にとって重要な仕掛けなのではないでしょうか。特に詩のような雰囲気が重要な要素を占めるものにとっては必須な気もします。もっといい活字(もしくは写植)、装丁の本が出てこないでしょうかね。

とのこと。
うむむ。「トータルな芸術の重要な一部」とは重いお言葉。「たとい「詩」」ではなく、「「詩集」だからこそ」なんでしょうね・・・。

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装幀に就いての私の意見(芥川龍之介)

青空文庫に、面白いテキストがあがっていました。
芥川龍之介の装幀観です。

装幀に就いての私の意見

 日本のやうに機械の利用出来ぬ処では十分な事は出来ないでせうが、兎に角もつと美しい装幀の本が出て好いと思ひます。装幀者、印刷工、出版書肆に人を得れば、必しも通常の装幀費以上に多分の金を使はずとも、現在行はれてゐる装幀よりもずつと美しい装幀が出来る筈です。小生はその点では装幀者に小穴隆一君を得てゐる事を頗る幸福に思つてゐるものです。右とりあへず御返事まで。

底本:「芥川龍之介全集 第十二巻」岩波書店 (1996(平成8)年10月8日発行)

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